読了目安:6分 / テーマ:三脚自撮りと“狙って残す”記録術
ピントと位置をそろえるという静かな儀式
立ち位置を決めるところから写真は始まっている
三脚を立てるたび、ボクはまず“立つ場所”を決める。背景との距離、身体の向き、光の入り方。そのどれかが少しずれるだけで、写真の印象はまるで変わってしまう。
風景の中にある小さな目印を頼りにすることもある。手を伸ばした先の柱の角だったり、床のタイルの境目だったり。そこにピントを置き、あとから自分がそこへ立つ。この方法は単純だけれど、どの撮影よりも確実だ。
ボケも光も「計算して置く」
背景をぼかすときは、少しだけ数学に近い作業になる。どこを見せて、どこを隠すのか。光が落ちる位置、焦点距離、被写界深度*。すべてを頭の中で並べ替えながら撮る。
けれど、その面倒さがいい。「自分が何をしたか」が写真に正直に反映されるからだ。成功した瞬間の静かな手応えは、何度でも味わいたくなる。
成功を積み重ねるための“ボクの撮影ルーチン”
“上手くいかない日”がない理由
ボクは撮影で「今日はダメだ」と思わない。単に、納得するまで繰り返すだけだ。
誰かに気を遣わなくていい。休むタイミングも、追い込むタイミングも、自分が決める。その自由さが、粘りの効いた写真を生む。
造形も同じだ。手を動かし続ければ、失敗も材料のひとつになる。その積み重ねが、写真の中に“厚み”のように残っていく。
リモコンを隠して操る──ボクのメインウェポン
カメラの前に立つとき、ボクはほとんどセルフタイマーを使わない。代わりに、小さなリモコンを手のひらや袖、布の影などに忍ばせて撮影する。
手品師が小道具を扱うように、指の角度や布のひらめきに紛れ込ませながら、シャッターのタイミングを完全に自分で制御する。ヒラみ、武器の角度、髪の流れ。その全部を“秒ではなく瞬間”で合わせられるのが、リモコン撮影の強みだ。
気に入る一枚が撮れるまで、同じ動作を何度でも繰り返す。カウントダウンの制約がない分、ボクは撮りたい瞬間だけを正確に拾い続けられる。このやり方は、もはや撮影というより“演算に近い操作”だと思っている。
一人で撮る自由と、自己完結という選択
誰にも合わせないという気楽さ
一人で撮ることに寂しさはない。むしろ、自由が確保される安心感のほうが大きい。
構図も光も、表情も動作も、全部ボクが決める。その細かい調整の繰り返しこそが、写真の“芯”になる。他者を気にせず試行錯誤できる環境が、撮影の質を押し上げてくれる。
自己完結という生き方から得た安定
コスプレ界隈には、撮影に付随した人間関係の問題が多い。価値観、スケジュール、技術、距離感。そのどれか一つが噛み合わないだけで、作品の熱量が損なわれる。
だからボクは、撮影くらい自分で完結したかった。カメラマン問題から解放されただけで、精神はずいぶん安定した。自撮りを続けるのは、孤独だからではなく、自由を守るためだ。
まとめ──三脚とリモコンがつくる“意図ある記録”
技術ではなく“選択”としての自撮り
三脚とリモコンを使った撮影は、単なる手段を越えて、ボクにとっては一つの“答え”だ。
造形物の角度、布の流れ、光の方向。それらをすべて自分の手で制御して、努力の結晶を「理想の状態で」記録する。誰かに委ねないという選択が、写真そのものの自由度と、ボク自身の心の安定をつくっている。
これからも、自分の技術で造形を残していく。誰かに委ねる必要はないし、委ねない選択にも意味がある。
次の章では、なぜボクがここまで“自己完結”を選ぶようになったのか──コスプレ界隈の現実と、距離の取り方について静かに語っていこうと思う。
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Notes
- * 被写界深度:ピントが合って見える範囲のこと。絞り値や焦点距離、被写体との距離によって変化する。