読了目安:6分 テーマ:写真加工の目的と哲学
はじめに
加工という言葉には、誤魔化すという印象がつきまとうことがある。けれどボクが画像を触るとき、その目的は作品を変えることでも、現実をねじ曲げることでもない。いちばん近いのは「整える」という行為だと思っている。
撮影した人、そのときそこにいた人、そして写真になる人をそっと守るための調整。整えることで、写真の中に残った意図や空気が静かに息をするようになる。ここでは、そんな加工の意識について辿っていく。
肌を整えるという小さな手当て
鏡ではなく、記憶を補う作業
写真を開き、自分の肌に目がいった瞬間、毛穴やニキビにため息が漏れることがある。その落ち込みを消すように、ボクは最初に肌を整える。スポットブラシで跡を薄め、にじみをぼかす。
この作業は、鏡の前で自分を見る時間とは似ているようで違う。写真は、光や空気の揺らぎまで映す。だから少しの補正は、鏡よりも「その日はこんな気持ちだった」を守る小さな手当てに近い。撮影者として、その日の自分に寄り添うための時間でもある。
削ることも、守る行為のひとつ
映り込んだ人には物語がない
加工というと、足すことばかりと思われがちだけれど、ボクはむしろ「消す」工程をよく触る。知らない誰かが背景に映ったまま載ってしまうのは、その人の意志を無視することになる。
イベントの混雑や撮影会の空気の中で、偶然その場にいた人を写してしまうことは珍しくない。そのまま公開してしまえば、その人の時間や表情を勝手に利用してしまうことになる。だから、そこに痕跡を残さないように削る。
それは曖昧なプライバシーの線を、そっと補強するための仕事だ。写真の完成のためだけではなく、そこに居合わせた人たちへの気遣いとしての削除でもある。
作品の世界観を壊さないために
色はいちばん簡単に嘘をつく
色彩補正を強くかけすぎた瞬間、そのとき撮った写真の匂いが消えてしまうことがある。ボクはそれを「やりすぎ」と呼んでいる。青が好きでも、青い記憶でなかったのなら近づけすぎない。
撮影者と被写体の視界に残っていた空気を壊さないために、色は少しずつ寄せていく。濃度を調整しながら、心の中で「これは本当にその場の空気だったか」を問う時間がある。作品の雰囲気づくりよりも、まずその瞬間の呼吸を守りたいという気持ちがある。
完成は一度きりではない
保存の瞬間に迷いが残ることもある
完成と感じて名前をつける瞬間があるけれど、一日経って見返したら違和感に気づく日もある。だから元データを上書き保存することはない。
作品は一枚の画像で止まるものではなく、「いつか別の世界観が生まれるかもしれない」と思える余白の塊でもある。取り返しのつかない線引きは避けたい。思い出には、いつでも呼吸をさせておきたいからだ。
おわりに
加工は作品を飾るためではなく、撮影したそのときの思考やまなざしを守るための行為だと思っている。被写体の満足、その日あった気持ち、人の流れ。その全部が写り込んだものを、そっと包む役目。
仕上げのレイヤーを重ねる時間は、思い出に薄い膜をかけるような作業でもある。ボクは今日も編集画面の前で、その記憶が壊れませんようにと願いながら手を動かしている。どの一枚も、いつか誰かが振り返る瞬間のために残している。
そして画像を保存したあと、別のアイデアが浮かぶときもある。その迷いごと受け入れながら、また次の一枚へ向かう。ここから少しずつ、別の物語が生まれていく。
次に読む記事
Notes
- * 用語解説リンク例(レタッチ、トーンカーブ、スポット修正などの一般説明)